タルヲシル

関西ワーキングマザーのえれなのブログです。食べることと春が好き。思いついたことをつらつらと書きます。

続・あたしおかあさんだから考察。音源を聞いてみた。

さて、結局燃えてしまって、関係者が謝罪という流れになってしまった本件。

(予想どおりの展開でしたが)

 

謝らせる必要はないとか、謝ってすむのか、という感情論につながってしまうのは別の議論なので、わたしは触れませんが、あらためて、なぜこんなにも炎上したのでしょうか。

冷静に考えてみたいと思います。

 

そして、それでこの話はおしまいにします。

いつまでもひっぱる話でもないので。

 

  • 音源を聞いてみた感想

とりあえず、実際の音源を聞いてみました。

 

わたしの率直な感想は、

うーん。やっぱりイマイチぴんとこない。

ぴったりとマッチはしていないかな。

でした。

 

同じだいすけお兄さんの曲、「さよならだよ、ミスター」と比較すると、音楽としてのワクワクや盛り上がりがもひとつかなあというところです。

あと、やっぱちょっとタイトルの歌詞の繰り返しがくどいかな。

って感じでした。

 

歌詞より先に音源を聞いていたら感想の順番が変わったのかもしれません。

 

あとは、歌い手の声とか伝え方もあると思います。

 

女性主人公を歌うには向かないという意味ではなく、力強さを前面に出すよりは、こどもを見守るしなやかさや柔軟さ、努力の裏側の少しの切なさを、慈しんで囁くように歌う方が向いていたのでは、と思いました。

 

全体的に大きく歌い上げるというよりは、優しいささやきボイスの方が毎日をがんばる母親感がでたのかなっという、まあ、好みの問題ですね。

 

もしカバーがでたら、また聞いてみます。

 

  • 伝え手側のメッセージの意図と受け手側の認知のずれ

プライベートや人の心理をテーマに扱うビジネスの世界は難しいですね。

 

昔よりもさまざまな場所でダイバーシティ化が進み、だれしもが色んな背景をかかえて、自分の意思をもって、そんな生活が尊重されるような、そんな世の中にシフトしてきています。

 

その中で、一人の像を描いて世の中に作品として出すのであれば、そのメッセージの代弁者として提供者のイメージとあっているかが、ポイントなのだと思います。

 

職場で採用の面接官をしたときのことを思い出したのですが、

人はその人が出すメッセージと、その人のイメージを比べたときに違和感があると、本人が言っていることに矛盾があるように思い、懐疑的になります。

 

たとえば、「わたしはリーダーの素質があります。」という面接でのアピールがあったとします。

 

同じセリフでも

Aさんは、話し方も明朗で、目をまっすぐみて、姿勢がシャキッとしている人。

Bさんは、話す声が小さく、目を見ることができず、前かがみでいる人。

ふたりの印象が変わってきますね。

 

その場合、対面していて相手に与える影響、その人から受ける印象とリーダーの素質のイメージに当てはめて、Bさんのアピールの内容が正しいのか、疑問に感じてしまいます。

 

もしかしたら、Bさんは研究の成果が高く、地道にコツコツやるタイプなのかもしれませんが、それはこの回答では分からないのです。

会話や質問のなかで、相手への期待というものを少なからず持ってしまうものです。

 

表現の仕方によって、相手に与える影響がかなり変わるということです。

 

個人的には、伝える側の自由もあると同時に、受け取る側の自由もあると思うので、色んな意見があるのはいいと思います。

 メッセージがちゃんと伝わらないと、作り手としては辛いものがあると思いますが。

 

  • あるがままの自分と承認欲求

おそらく今回は、だいすけお兄さんにこんな歌詞を歌わせるなんて!というような反発があった可能性があります。

わたしたちが求めるだいすけお兄さんは、どんな母親でも受け止めてくれるはず、こんなお母さんだからというメッセージは出さずに、公平で味方でいてほしかった、というようや心の表れではないでしょうか。

 

自身の立場を気にしたり、派閥を生みがちな女の悲しい性だったり、また他人に期待してしまう人間のエゴもあるのですが、それをもってしまうほどに、満たされず完全に理解されない悲しさを抱えているひともいます。

周りの人にいかに許容されているか、自分自身を認めているかなど、承認欲求は現代の課題だと思います。

 

プライドが高いと言われるかもしれませんが、テキトーに生きたって別にかまわないのです。

自分自身でいられることや、あるがままを受け入れてもらえるかどうかで、精神の安定につながります。

 

  • 母親も多様性のある生き方を

育児中におかあさんといっしょにお世話になった人は多いはずで、そのときのイメージのまま今もフリーで活躍するだいすけお兄さんだからこそ、今の世でセンシティブな母親像を歌うには、難しいものがあったのだと思慮します。

 

また、今の世の中に納得がいっておらず、課題を一緒に考えてほしい、解決したい、という思いもある人もいたのだと思います。

わたしは、どちらかというとこちらです。

 

こんなことに怒るなんて余裕なさすぎじゃない、と言われても、余裕の有無でなく実際に社会に出て思っていることなので、これからも発信し続けます。

お互いに、表現の自由なのです。

 

働くことで余裕がないことが原因なのではないです。

子どもが生まれたら生活が変わるのは事実です。

ただ、だからといって我慢の美学で苦労をすればよいとは思わないし、これまでと同じでよい、という意見は改善していくべきだと考えているからです。

もっと子育ての楽しさを知ったり、社会の役にたったり、自分の好きなことをして、仲間を増やして、人生をよりよく生きる権利があります。

  

  • ものづくりの真摯な態度の重要性

ビジネスに失敗があっても、べつにいいと思います。

失ったものは、取り戻せばいいだけです。

 

これは、刺さる人には刺さったし、万人には受けなかった。ただそれだけ。

そもそも、芸術はそういうものです。

 

ざっとネットを見る限りだと、

・そこまで批判する意味が分からない派(理解不能

・どうでもいい派(無関心)

・でも私は好きだし応援してる派(許容)

・やはり許せない派(拒否)

といった感じでした。

 

ビジネスの観点から考えると、彼らにはスポンサーもいますし、ファンの応援(需要)によって、仕事が成り立っています。

イメージ戦略として、求められるものを提供し続けるプレッシャーがあり、要望に添えていない、期待と違うなど、応援している人の気持ちが揺らぐと困るわけです。

 

なので、これからどうなるかは彼らやスタッフの力によるものなので、言及しないものとします。

 

すべてが揃っていても、成功するか失敗するか分からない世の中です。

 

個人的には、男性がどうでもいいといっているのが多いのが印象的でした。

ふつうじゃね?なにをそんなに怒ってるのか分からない。といった内容で、ここには、母親の受難を理解できるかできないかの壁はあったのかもしれないですね。

この話は他人とシェアできない感情なのかもしれないな、という印象でした。

 

世に作品を出すなら、責任と情熱と自信をもって、正面からぶつかっていただきたいです。

 

本気度は相手に伝わるはずです。

 

わたしはだいすけお兄さんを応援し続けますし、これからも真摯に仕事をしたいと思います。