タルヲシル

関西ワーキングマザーのえれなのブログです。食べることと春が好き。思いついたことをつらつらと書きます。

人が亡くなるということ

おつかれさまです。

ワーママエレナです。

 

6月はあっという間でした…。

今日、明日までに解決しないといけないトラブルが発覚し、あいにく私は時間がきてしまったので、バトンタッチしました。。

申し訳ないですが、誰がやるのかが重要ではなく結果が全てなので、お任せしています。

 

過去を振り返れば各々反省点はあるものの、

なんとかするしかない場面はよくあります。

(トラブルがないのが一番ですが。。。

そのための組織で仕事をする、なのですが、人間多くてコミュニケーションロスでってのもあるので、一長一短。。)

 

起きてしまったことを言及するよりも、
これからどうするかを考え、再定義したゴールに向かって実行することがモットーの部署。

 

明日までにはどうにかして解決すると思います、

が、今後再発防止をどうするのかと言われるだろうので、報告まとめないとですねーーーーー。

またお昼食べ損ねました。

 

いや、でも忙しい日常があるのはありがたいことです。

暇だと時間が過ぎるのが遅くてつらいので。

 

 

先日、母方の祖父がなくなりました。

職場には繁忙期の中、1日お休みをいただいて、家族葬で見送り、あっというまに骨になりました。

 

儚いですね。

 

いや、人間としては長い人生だったし、戦争もあったけど、その後仕事に趣味にと好きに生きてきたと思うので、それはそういうものだったんだと思います。

 

晩年、認知症のため、母には暴力ふるったりと言葉で罵ったりわめいたりと、散々様々な人のお世話になってましたが

ようやく、色々な俗世のしがらみから解き放たれたわけであります。

 

孫としては、どうしようもなかった。

子ども生まれてから部屋に訪ねにもいきましたが、母ですら覚えてないので、もちろん私のことも覚えておりません。

今誰だと思って話してるんだろうなあと、よく思ったもんです。

 

病憎んで、人を憎まずとはいえ

相当、辛かったと思います。

母としては。

日々決断を迫られ、判断疲れで疲弊していたので、

一区切りついたら、ようやくホッとするんでないでしょうか。

 

(バグを憎んで人を憎まず、と似た感じ。

しかし、原因があるので、対処するしかないのも同じ。

いやしかし人間がすることなので、バグもなくならず、病もなくならず。

どうすれば。)

 

夫が、

頑張って子ども育てても、最後には骨になるんだね、

と言っていたのが、印象的でした。

 

 

世の中には、生まれる前や、生まれても幼いころ、若くで亡くなる人もいます。

 

今、こどもが骨になることは考えられませんし、

できれば我々親世代の方が先に、とは思いますが、

この世では、それもたくさんの人が経験していることなんだと、ようやく分かりました。

 

これは悲しい。

当事者は辛い。

不可逆の人間の死。

喪失感がつきまとい、離れない。

 

近い存在であればあるほど

思い出がたくさんあるほど

その人への思いが強く、多ければ多いほど

 

もうどうすることもできない自身に向き合うことになる。

 

人が亡くなるということは、こういうことだったのか。

 

 

ニュースで訃報を聞くのとはちがう。

目の前で見てようやく分かりました。

 

人が死ぬということは、みんな平等におこることであり、最初から分かってることとはいえ、聞くのと知るのとでは全然ちがう。

 

知っていた人が身動き一つせず横たわり

まるで人形のような真っ白な顔で

何を話しても何一つ応えることもなく

その身が温かくなることもなく

息もなく意思もない

動かない身体に、たくさんの花を添えて、棺が閉じられ

火葬場の鈍く重い扉が閉まり、扉の向こうで炎があがり

焼いた後の充満する匂い、 熱さ

バラバラになった骨は箸でつつけば、

脆く、簡単に粉になる

 

これが、ひとの最後なのか。

 

これが、誰しもに訪れるものなのか。

 

これを、見送る人はみんな経験しているのか。

 

そして、時とともに少しずつ、忘れるのか。

 

人がなくなれば感動的なお話しだけではなく、思い出や美談以外の現実的なお話が多い。

 

書類の手続きも多く、お金の話、今後の話、決断と実行の連続には変わりない。

生きている間は泣こうがどうしようが、おなかもすくし、日常は何一つ変わらず。

 

目の前のあの人もいつの日か誰かから生まれた存在で、この人もいつか死ぬ。

 

ただ、それだけ。

 

様々な宗教が人とともにある理由、人が悲しくつらいときに乗り越えるため、頼るすべなのだ。

 

人の死は一人で抱えるものではないとよく分かった。

 

なにをどうやっても、最終的にはいつか死ぬというのもよく分かった。

 

だから、自暴自棄になるひともいれば、日々を大事にするひともいるんだな。

 

 

弔う機会、時間が減っている現代、葬式も簡素化されつつあるらしいですね。

中には葬式も省略することも。

 

人の悲しみに、死に、生き方に寄り添う時間が減ったのは、残念なことです。

 

できれば、経験しないでいい痛みではあるものの

これを思いやることで、他人の命を尊重できるようになると思う。

 

世の中にもっと優しい人が増えますように。

 

私自身ももっとさらに人に優しくできますように。

 

それを祈るしかないです。

 

合掌。