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タルヲシル

ワーキングマザーのエレナのブログです。システム開発の会社に勤めてます。春が好き。

産まれる前、産まれたあとも人は他人に迷惑をかけている。

ママ 独り言

こんにちは。

上司にけちょんけちょんにご指導くらいまくってるワーキングマザーのエレナです。

 

なぜ、こんなに私は怒られまくっているのか。。

と、悶々としています。

 

コミュニケーション不全です。

不幸なチームだなとかんじています。

(幸せなチーム、不幸なチームについては、日経SYSTEMSの2017年3月号の特集をぜひご覧ください。

勤務先がシステム会社じゃなくても、通じることがあると思います)

 

怒る理由はなんなのか?

褒められたこともないし、努力はして当たり前で、成果がでてなければ意味がない、とも。

 

正論で責めればいいってもんじゃないですよ。

 

そんなパーフェクトな人間になれません。

 

お互いの立場でしかわからない大変さや苦労もあると思うので、そこをぜんぶ理解してくれ、は言いません。

私も相手のしんどさなんて察することもできておらず、全然わかっていないんでしょう。

 

でも、せめて、拒絶しないでほしい。

 

なぜそんなに否定され続けないといけないのか?

『あいつ仕事おしつけやがって、役にも立たないし迷惑だ』と思っている?

 

って、チキンなので、何一つ伝えられませんが(笑)

 

『他人に迷惑をかけるな』って、キーワードありますよね。

たぶん“できるプレイヤー”こそ、できないひとの理由がわからず、同じ人として思考回路がどうなっているのか理解できないのかもしれません。

 

迷惑をかけるなって、ひどいことばだと思います。

 

人間は一人で産まれることはできないし、一人で死んだ後の後始末もできないんですよ。

 

迷惑をかけて産まれて、産まれたあとも迷惑をかけて、死ぬ時も、です。

 

迷惑を何と言い換えるかにもよりますが、人が生きていくには「人の手」が必要です。

それを役目と考えるか、お互い様と感じるか、手がとられて迷惑だ!と憤慨するか、人それぞれなんでしょうね。

 

孤独に慣れているというひと、本当にひとりなのですか?

身の回りのものは、世の中のだれかがやってくれたことではないですか?

そうやって、いろんな形で人はできることをして、支え合って生きてるんですよ、とそういうことを考えてみてほしい。

 

迷惑を人が嫌がること、なのであれば、私も心底迷惑しています。

 

私は完璧だ、と思っている人は、考えて欲しいですね。

あなたが意見を主張するよこで、悲しみ、しょんぼり凹んでいるひともいますよ。

私には関係ない、という言葉も聞こえてきそうです。

そうやって、拒否して、正当化して、それでいいって思っている理由はなんですか。

そこまでして、守らないといけないものはなんなのですか?

 

 

これは、人が周りに受け入れられているかどうか、が関係しているのではないかと、思います。

 

周りに受け入れられないと、周りを決して許すことはできないでしょう。

『私が認められていないのだから、相手を認めなくても良い』という思考回路になります。

 

周りから受け入れられていると感じれば、自分も周りを受け入れる気持ちが生まれます。

 

世の中が多様性を受け入れるには、まずあなた自身が認められている、と思うかどうかが重要です。

 

海外にはremember who you are.という言葉があるそうです。

一般的に日本にはあんまり馴染みがない考え方ですが、人の子は神様の子で、いろんな行いをしても、神様があなたのことを見ているよ。って感じだったはず。。

(すごく直訳だと、『あなたがだれなのか、思い出しなさい』ですが)

 

世の中の怒ってる人も、悪いことする人も、ぼけてしまったひとも、最初はみんな赤子だったんです。

 

だれかがきっとオムツをかえ、ミルクをあげ、あやしていたはずです。

(赤子はほっといたら生きていられないので。。)

 

そう思うと、私は相手を非難し続けることはできません。

法のもと、裁かれるべき事案の場合は、きちんと裁かれる必要がありますが、日常の小さなトラブルは、

相手を許せる余裕があるか?

相手が自分の態度、対応で困らせていないか?傷つけていないか?

その度合いで、あんばいが変わってくるのだと思います。

 

やはり、人間は基本的には一人の力は弱過ぎます。

砂漠で、森の中で、氷山の中で、人は到底一人では生きていけません。

学校や職場や地域など、多くの人に囲まれていたとしても、実質的に心身ともに独りなのであれば、いつか誰かの力を借りないと、生活がなり行かなくなります。

 

今までも、様々なバックボーン、生き様がぶつかったり、交わったりして、発展してきたんです。

 

生きるということは、誰かの手を借りてるんです。

 

そこに気がついたら、自分も、隣人も許せるようになっていきたいですね。

 

この世のだれも、自分と同じようにはいかないのです。

自分にできることも、相手ができなくて当たり前です。

 

機械ではなく、クローンではなく、それぞれ個性をもった生命なのですから。

 

一人で何もできない、赤ちゃんに出会ってから、気づいたことです。

 

では、違う立場のひとと、どうやって関わっていくか?

これからの課題です。