タルヲシル

関西ワーキングマザーのえれなのブログです。食べることと春が好き。思いついたことをつらつらと書きます。

全ての人に好かれる人なんているのか?

おはようございます。ポンコツ故障しかけワーママerenaです。

 

突然ですが、みなさんは、なりたいと思っていたものになれていますか?

私は、半分叶って、半分はまだ、と言った感じです。

 

学生の頃は、善き人に憧れていました。

人の善意を信じて疑わなかったのです。

いい意味でも悪い意味でも阿呆かなとは思います。

 

有名な少女マンガ、フルーツバスケットの主人公、透くんの影響は存分に受けていました。

誰からも好かれるように、人にいい印象を与えるように。

いつも穏やかで、癒されて、という人間像に、なりたかったのです。

 

独身、結婚しても子どものいない頃は、その人間像を作り出し続けることができていました。(と自分では思います)

子どもができた途端、今更ながら気づいたのです。

 

人とは利害関係が一致しないこともある。

存在自体を疎まれることがある。

 

そう、全ての人に好かれることはできない。

 

私にとっては大いに衝撃でした。

何をやっても無意味な人間関係もあるのだと、愕然と失望したのです。

 

愛想を振りまく相手も絞らないといけない。

仲良くする相手も、本音を言う相手も、同様に。

 

親になった途端、真の意味で自分の理解者はいないのだと感じるようになる機会が増えました。

守るものはできたのに、意見や考え方はそれぞれ違い、100%の協力者はないのです。

(元々人間自体不完全ですが)

この援護は味方なのか敵なのか?

前からくるものを守ろうとしたら後ろから刺されたとか?

孤独です。

不安が解消されたことがない。

 

会社の同僚について。

育休で休んで、その間共感性の高い人間だけに囲まれていると、「いつも肯定してもらえる(たいてい否定されない)」そんな環境に慣れていたのでしょう。

復帰したのはいいものの、想像以上に休むことになり、引き継ぎしたり、仕事に穴が空いたり、やるはずだった作業をお願いしたり、先方に負担がかかるのは理解しています。

それが疎ましいと思われるならどうしようもないです。

 

しかし、こちらもそうする以外に生きていくすべがないのです。

 

労働力を対価に評価もお金ももらっていたのだろうけど、労働力を差し出せない時がある。

会社(経営層)からすれば、おそらく標準的な働き方をできないひとたちを、雇ってしまった手前支えているという、ボランティアレベルのことなんでしょう。

現時点では、雇用の流動性が日本は少ないので、今あるリソースを活用する(女性活用の日本語は好きではありませんが)方がよいと判断されてきたのでしょう。

こちらも、特別なカードを持たない限り、新卒カードを切って、ケア責任(こどもなど)が発生して、いざ転職しようものなら、なにかを諦めざるを得ません。

 

それを今まで、だれがそっと教えてくれるはずだったんでしょうか。

戦略ミスしたとしても自己責任で、納得できなくても変化を受け入れざるを得ない、悔しさを伝えることもできず。

相談されても、『君は○○より恵まれてるんだから』の一言で片付けて、甘いケーキなどで慰めてやしないですか。

 

女性がひとくくりにされるのも、結婚や出産で制限されるのも、同性から疎まれたり妬まれたりするのも、男性並みの競争社会に肩肘張ってがんばるのにも、疲れました。

 

子育て以外にこんなに人間関係でストレスを感じるとは、思っていませんでした。

 

少し想像したら分かったことなのに、自分は大丈夫だろうと、たかをくくっていたのです。

 

なりたいものになるのに、こんなに大変だと思いませんでした。

地味に、それがショックで、気づくのが遅かったなとも思います。

 本当にふがいないです。

 

もちろん前提として命あればこそ、ですが、命あっても、自分に納得できないと辛くないですか。